江戸時代、夏目大旱には干ばつに苦しむ伊吹山麓の農民が伊吹山坂口に鎮座するこの三之宮神社の境内に参集し、早朝より夕暮れまで雨乞祈願をし、また氏子全員が伊吹山山頂弥勒菩薩前に集まり柴一束宛刈りとって集め雷踊りとともに大松明を捧げました。これが千ば焚きであり、また各自もってきた大松明に火を受けて下山、それぞれの田で雨をお願いし豊作をお祈りしたのであります。
そして返礼の踊を行うことを古例としてきたのでこれが豊年踊であります。明治33年に返礼踊が奉納され、大正13年にこの踊が奉納されて以来戦時中途絶えていましたが、戦後昭和22年に千ば焚き雨乞踊で祈願をされ、昭和42年にこの貴い古式豊かな郷土の踊を維持保存すべく43年ぶりに奉納し、その後「伊吹山奉納太鼓踊」と命名。昭和53年に奉納し、昭和54年に滋賀県選択無形民俗文化財の指定を受けて今日に至りました。 「上野区保存会資料より抜粋」
5年に1度のお祭りは、今年がその年にあたりました。6月から毎晩のように子供も大人も集まり、練習をされてきました。勉強やクラブ、仕事の合間に時間を作り、地域住民の誇りの成果が、今日奉納されました。総勢200余名。
(私はというと、写真撮りとビデオ撮りに追いまくられていました。写真は1枚1枚残りますが、ダイナミックな踊りの様子や音楽はビデオでないと残せません。)
旗、会長、区長、指揮(千ば焚き)、笛、役太鼓、鉦、音頭、太鼓、ふくべ振りの順に進んでいきます。道脇にはあふれんばかりのカメラマンで賑わいました。 |
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出発前にはいポーズ。これから4時間以上の長丁場 |
一本いっとく? |
上野会館から三之宮神社に一歩一歩歩き進みます。境内に入るまでに1時間半かかります。 |
小学生、中学生達の笛 |
太鼓は小学3年生から。毎日の練習で上手になりました。 |
大松明を持つ親父さん。2週間ひげを生やしたそうで貫禄があります。 |
音頭とともに踊りながらの太鼓たたき |
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涼しい笛の音色に誘われます |
安藤副知事もご来賓いただき・・・ |
平尾米原市長からも祝辞をいただき・・・ |
太鼓踊は続きます。「どうじゃいな〜」 |
いくつもの囃子があり、それぞれに合わせて太鼓をたたき、バチを振り、回します。 |
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音頭の「お礼の踊りを踊ろうよ踊ろうよ」でお礼踊りの歌とともに雨乞踊が続きます。 |
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ふくべの子供達も歩きます。 |
役太鼓のバチ裁きにも力が入ります |
ゴザの上で、激しく踊る。鉦も太鼓もど真剣です。 |
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真剣なまなざし・・・ |
5年に一度のお祭りだ・・・ |
最後に一同並んで仕上げの踊り |
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太鼓の皆さん |
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太鼓の小学生部隊 |
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ふくべ振りの子供達と親方 |
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笛の女の子と大人の方々 |
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音頭の皆さん・・・きれいに撮らないと怒られる |
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側踊りの皆さん |