地域包括ケアセンターいぶき 7年目を迎えて

地域包括ケアセンターいぶき センター長 畑野秀樹

2012.4.1


1.伊吹にきて19年を振り返って
当時の伊吹町の人口 は6100人、伊吹小学校も200人の生徒がいました。現在は伊吹地域の人口5500人、伊吹小学校は100人となりました。米原市全体を考えても、現在41,000人で、子供の数は減少し、既に65歳以上の高齢者人口も減ってきています。

平成5年当時は80歳以上の人が高齢者番付に掲載されて敬老の日に全戸に配布されていました。今は80歳はまだまだ若く、90代で普通のような気がします。90代の高齢者の子供は定年を迎えています(子供が年金をもらっている時代に)。以前は往診を依頼されて訪問すると、家族が迎え入れていただいていました。今は若い人が仕事に行っているため高齢者は日中一人暮らしで、そこへ医師が訪問診療し、変化があれば携帯電話で家族とともにケアマネに連絡し、ケアプランの変更をしてもらっています。

女性は、家にいる時代から、今は女性が働きに行く時代に変化しています。一方で介護の世界で働く人も増え、社会で高齢者や障害者を支える時代になってきました。また当時は、食べられない人は経鼻経管栄養をするか、末梢点滴をしながら徐々に弱っておられた時代から、今は胃瘻や中心静脈栄養という方法で、数年以上の寿命を長らえることが可能な時代になっています。

10年前までは医師過剰と言われ、余った医師はタクシーの運転手をしているという外国の例を聞いたり、自治医大の義務年限を終えたら県を辞めて自分で探してくれと言われていました。私たちは患者さんから残ってほしいと言われるような役に立つ医師になろうと努力してきたつもりです。ところが今は、地域の医師が足りない、地域医療崩壊と言われるようになりました。

10年単位くらいで、時代は大きく変貌しているように思いますし、将来においても大きく変わっていくと思われます。

2.地域包括ケアセンターいぶきの果たしてきた役割
伊吹町に保健・医療・福祉の総合施設を作ろうと役場で検討を始めたのが平成8年でした。すぐに施設ができるのかと楽しみにしていましたが、首長が替わるたびに振り出しに戻り、悶々とした月日が流れました。医療職も介護職も十分におらず、病院もない伊吹町で、人々が生き生きと暮らし続けるために何が必要か・・・地域連携、多職種協働(地域包括ケア)以外にありませんでした。保健師さんと連絡を取りながら、地域に住む気になる子供や成人、高齢者の情報を共有し、集中的な医療が必要であれば長浜市や関ヶ原町の病院にお世話になり、また自宅に帰ってこられたら診療所と社協が連携して支えてきました。

ただ、その際にどうしてもなかったものが地元の入所施設でした。家に住みたくても独居であったり重度の人は家に帰れず、他町・他県の老人ホームや老人病院に移っていかれました。「ショートステイ」がもっと使いやすかったら・・・という介護者の訴えは強く心に残りました。

また、リハビリの力のなさを強く感じました。脳卒中の人が自宅に帰っても、自宅で寝かされきりであり、往診しても車いすに乗せて散歩に行くくらいしかできませんでした。PT,OTさんがいる今は、要介護5の人でも立たしたり、歩かしたりしています(体が固くなって立たせやすいらしい)。食べられなくなった人は、あきらめて、毎日の点滴だけで2週間後くらいでお亡くなりになっていましたし、それが当たり前でした。介護する家族にとってもラストの2週間は、最期のお別れの時期として、ちょうどよい期間でもありました。

ケアセンターいぶきは平成18年4月に、医療と介護の複合施設としてオープンしました。開設当初は外来と往診のできる診療所、訪問看護ステーション、複数スタッフののリハビリテーション機能、通所リハビリがあれば、地域全体を病院とした地域包括ケアができると思い、老健施設がお荷物に感じながらのスタートでした。しかし、この6年間で思うのは、老健施設の存在の大きさです。家族のレスパイト(休息)としての老健、利用者が安心して過ごせる暮らしの場所としての老健、リハビリを提供して元気に動けるようになるための老健、認知症ケアの専門施設としての老健、看取りを行う老健・・・と多様に使うことができ、地域包括ケアを実践する拠点として大きな役割と果たしています。

ここ6年間で、地域の住民は確実に清潔で長生きになりました。食事がとれない場合においても、口腔評価や嚥下評価を行い、経口摂取に向けた様々な取り組みをするようになりました。病院では経口摂取は危険とされ胃瘻で帰ってきた人に対しても、経口摂取できるよう工夫がされています。点滴1本で50kcal程度にしかなりませんが、チョコレート2かけ食べられれば同じカロリーをとることが可能です。歩くこと、話すこと、トイレに行くことなど日常生活をあきらめていた患者さんも、リハビリにより歩くことが可能になりました。冬の間のお預かりで、豪雪地域の一番辛い時期を安心して過ごすことが可能になりました。

6年目を迎えて直面している課題も出てきました。要介護者の重度化です。要介護4や5でも地域で過ごすことができるため、重度の人が増えました。特老やグループホームでは重症過ぎて預かってもらえない人が自宅とショートステイで過ごすケースが増えました。食事介助に1時間以上かかる人も増え、施設において介護士の負担増加、自宅においても家族やホームヘルパーの負担が増えたと思います。では、食べることをあきらめるか? 胃瘻を作るか? 特老に入所させるか? というと、家族の気持ちとしては、ショートとホームヘルプを併用した今の暮らしを希望されています。重度であっても、数年前あるいは数十年前には、家族のために一生懸命働いてくれたその家の歴史があるわけで、そういう家族へのご恩、思いやりを大事にできているこの地域を、私たちは大切にしたいと思います。

孫たちがとてもいい子に育っているというのも、とてもうれしいことです。祖父母の往診で通い続けたお宅で、最期も一緒に看取った孫たちが、往診で通り過ぎると手を振ってくれたり、挨拶をしてくれます。中学生たちがブラスバンドで老健で演奏をしてくれたり、高校生も箏曲を演奏しにきてくれたりします。近くの幼稚園児も、散歩に立ち寄ってくれるようになりました。職場見学にきてくれた中学生が、命の大切さを感じ、地域の人が安心して住めるように医療職を目指しているということも聞いています。

3.今後の地域づくりに対して
私たちは公益社団法人地域医療振興協会の職員であり、ケアセンターいぶきの職員ではありますが、ケアセンターいぶきだけがよくなればいいとは思っていません。地域全体の人々が、生き生きと、そした安心して暮らしていけるように様々な努力が必要かと思っています。いろんな産業や文化もありますが全てに関わることは難しいので、せめて産業や教育文化に携わる人々がその力を発揮できるように、医療や介護福祉の面でバックアップしていくことに徹したい。若者世代が安心して仕事ができるような支援をしたいと考えています。

伊吹・山東地域においては、開業医さんの存在も大きく在宅医療にも非常に協力的です。坂田青成苑や坂田メディケアなど大きな介護福祉施設にも恵まれています。小回りのきく小規模施設も次々にできてきており選択肢が増え滋賀県内でもモデル地域になっています。近江地域においては、3年前からは近江診療所の運営を始め、在宅医療・リハビリテーションにも関わってもらい、地域が変わってきたと聞いています。今後は米原地域においても、米原診療所に医師を派遣し、開業医さんの力をお借りしながら、在宅医療やリハビリ、介護との連携、予防活動などにも、徐々に入って行きたいと思います(もしうまく関われないと思えば、早めに撤退を決めた方がいいとも考えています)。

もう一つの課題は、持続可能な地域医療を担う医師の確保です。ここ数年、診療所や病院からの医師の撤退が続いています。家庭医療や総合医療をやろうと熱意を持って診療所に赴任しても、施設運営という壁、行政との関わり、教育システムの問題などで挫折して辞めていく医師が続きます。自分たちの時代とは明からに考え方が違います。しかし、「違う」と拒否するのでなく、若い医師の困っていることを聞いてあげて、環境調整できるところは調整し支えてあげて、彼らのやりがいを伸ばせるようにしてあげたい・・・「仕組み作り」というレベルで、考えていくことが必要なようです。診療所に3年以上そしてもっと長く勤めてほしいという願いは、若い医師にはプレッシャーとなりますので、1年でも構わないという割り切った考えも必要です。長浜市と米原市、岐阜県などを包括した地域で、医師が相互に行き交いできるシステムの構築が必要であり、「地域医療振興協会」という6000人の全国組織をうまく生かして医師派遣できればと考えています。この件は中村先生にお願いしています。

介護や福祉の面では、家族の単位が小さくなっている現状、北部地域では過疎化が進んでいる現状、病院がベッドを縮小し入院日数を減らしていく現状を考えると、在宅療養を支えるための資源を増やしていくことが必要です。自宅、病院、特老以外の「住まい」の確保も必要です。高齢者住宅やグループホーム、小規模多機能施設の充実に(いぶきがやるということではなく)協力していくことが必要かと考えています。

スタッフの皆さんや、地域住民の皆さん、一人一人の知恵を集めて、豊かな地域づくりのために一緒に行動していたければ、ありたいことと思います。