伊吹山西尾根は・・・幻だった 2003.10.25

 地元の人たちから、いろいろと情報を集め、大久保の人たちによると「昔はよく伊吹山に上がったんや。40年以上も前の話しやけどな。今はどやろ? 道はないかもしれん。熊に会うかもしれへんし行かんほうがええで」と言うことであった。伊吹山北尾根からは、大久保からの尾根筋が見えるけれど非常に急斜面で、どこから登るのかさえわからなかった。それでも秋になり、散策するにはいい時期となったので、行ってみることにした。多分ついてこないだろうと思った小学1年の子供が、「行く」と言うので食料を買い込んで、大久保から入った。


伊吹町伊吹の姉川から伊吹山を見る。ちょうど左に見える尾根筋(セメント採石場の裏側)を登った。道があるかどうかは全く未知数。熊に出会わないよう二人とも鈴をつけ、ラジオのボリュームを大きくした。
北尾根側から見ると、こんな風。


大久保集落で、コムラサキ(小紫)を見つける。今日は長尾寺保存会の皆様が通路の整備をされていた。


長尾寺の境内の横を登り出す。最初は植林された山道であるが、人が入っていない為か、林道はあちこちで木が倒れている。


モチノキの赤い実(感謝→mten様


イヌツゲの黒い実(感謝→mten様


そのうちにブナ林となる。草は生えておらず、気持ちのよい林で、歩きやすい。


リュウノウギクも誰にも見られず咲いている。見たのは私たち二人だけじゃないかな?


なんとかアンテナまでは道が確保されていた。しかしここから先は、道は消えていた。


木の葉が色づいて美しい。


ゴマナだろうと思う。


道がないため、林をヤブこぎしながら登ってみると、急に視界が開け、セメント工場の採石場に出た。住友大阪セメントは工場撤退したため、今は別会社が採石だけをしている。今日は誰も見かけない。


セメント工場の敷地内に入ることはできるだけ避け、ブッシュと採石による崖の境界辺りを登ることにする。花はヤクシソウ


道なき道で、とにかく登る。子供も最初は「帰ろう」と行っていたが、「来た道は帰らない」と言うとあきらめ、とにかく登った。


眼下を見ると、左下はセメント採石場、中央の集落は上板並、奥に吉槻集落。左の遠くの山は小谷山(浅井長政・お市の方で有名)、右手奥の高い山は金糞岳(滋賀県第2位)


美しい紫の実と、クサボタンの種。


急斜面をふーふー言って登る。クサボタンが光っている様子が綺麗だった。


タムラソウ。


斜度は30度以上ある。ブッシュと採石の崖の境の草地を何とか登る。子供は文句を言わない。


再び、セメントの採石場に出る。崖のトップはもう9合目くらいであろう。左の鞍部には建物があり、伊吹山ドライブウェイの茶屋が見える。


登山道がないため、セメントの採石場を横目に通る。広大な広場は日本にいるような感じがしない。


北尾根を見る。左から電波塔、国見岳、大禿山。上のほうはかなり紅葉している。


紅葉を見上げる。


トリカブトの種。握ると硬く重い。


リンドウ


ヤマジソの花(感謝→mten様


遠くに白山連峰(白山釈迦岳・御前峰・別山)が見える。雪が積もっているのか白い。手前右は北尾根の電波塔。眺望マップはこちら


マユミの実がはじけている。


かなり登ってきた。細い道にいく筋か出会う。多分けもの道。セメント採石場の崖は10cmくらいの石灰石ばかりで土が少ない。湖北地域のNPOが伊吹山の景観を取り戻すため、どんぐりを植える計画と聞いたが、まず土を作らなければ無理っぽい。


セメント採石場の崖を登りきると、少しなだらかになった。けもの道がたくさんある。カモシカの糞を確認して、けもの道を進んでいった。途中でカモシカのペアに出会う。写真の実はサワフタギ


(写真提供 ファイア〜様)

 最後は、伊吹山山頂の防風壁を目指して進んだ。草はほとんど枯れていたので影響はないと思うが、夏にはお花畑になる所なので、やはり通るのは好ましくないと思われた。山頂山小屋に寄り、「大久保から登ってきましたわ」と言うと驚いた様子で「お疲れ様、道はないでしょう」と言われた。

山小屋で休憩してから、今度は登山道を下山する。子供は足がふらつくようで何度もこけそうになっていた。3合目からはゴンドラでおりた。

幻の西尾根は、道が消え、本当に幻となっていた。もう来ることはないだろう。またこの晩秋と初春以外の時期は、草やブッシュにより登るのは無理と思われる。道なき西尾根から山頂(1377m)まで子供もよく登ったと思う。


Qさんからの情報では、

西尾根コースは昔の地図や地形図を見ると、やはり採石場にかかっているかと思われます。
1/2.5万地形図「美束」では神社から△645.6と908の辺りを通っていたと思われます。
1979年の「山と高原地図」の裏面の記載には「西麓からのコースは採石場の急速な拡大に伴う断崖や自然崩壊で現在適当で無くなっている。」と書かれていました。
(川戸谷林道終点から南東尾根に上がる、もう一つの上平寺越え?コースは丁寧に書かれていましたが、1989年版の記載には こちらも廃道化し藪漕ぎ覚悟せよと書かれていました。)


昭和42年発行の山渓「アルパインガイド 近畿の山」仲西政一郎編には表登山道から登り、下降路として大久保への道や、上平寺越えから藤川への道、関ヶ原への道、などが簡単に紹介されています。
 例えば大久保への道は「西尾根はお花畑の中を抜けたり、灌木混じりの草原続きの小道で感じが良い。途中 編小場の台地からは急斜となり、真っ直ぐ下れば大久保、左折して南下すれば大平寺にでる。」と書いてあり、簡単な伊吹山全体の地図に、表登山道、弥高尾根道、西尾根道(大平寺と大久保への道)が載っています。
 このコメントは短いですが、とても興味深いですね。分岐点が編小場というのでしょうね。
  
 また1989年発行の昭文社 山と高原地図「霊仙 伊吹 藤原」には表登山道と北尾根、笹又からの道、東南尾根が実線で描かれていて、上平寺越えと笹又横道、川戸谷林道終点から東南尾根に上がる道、弥高尾根の道、そして西尾根(大久保と大平寺への道)が細い破線で描かれています。
 大久保の道は春が良いだろうなーと思っています。


 昭和37年発行の山渓「近畿の山」泉州山岳会編には東南の尾根から川戸谷林道に降りる道として
「笹又の分岐から右側の谷、赤土谷へ下る。赤土谷には明瞭な道がついており、上平寺部落を経て近江長岡へでる。」と書かれております。

上平寺越えの道は滋賀県側はしっかりしております。
ただし 川戸谷林道からの取り付きがわかりにくいと思います。
1/2.5万地形図「関ヶ原」で林道がカタカナの「コ」の字になっている所があります。
目印は付けてきませんでしたが「コ」の字の上の横棒の箇所から入ります。
植林のなかにうっすらと掘られた道が延びています。次第に良い道になります。

ただし岐阜県側はしばらくは掘られた道型がついていますが、地形図で標高670m辺りの部分から下は、道がはっきりしなくなります。ここからはしっかりと地形図を見る必要があります。
掘り割りの道は西に向きを変えるとしばらくで、土で埋まった谷に出会い、道が消えます。
谷の向こうには道はありません。この谷を降ります。土で滑らないように注意してください。
地形図でもわずかですが北に向きを変えていますね。まず下に一段見える所までワンピッチ降ります。(右手に東へ向かう広い道のようなものが見えますがそちらへは行きません。行き止まりです。)ここは更に谷を降ります。降りようとすると大岩がありましたね。右から巻いて降りて下さい。ワンピッチでこれ以下降りられそうにないと思える場所がありますので、
そこで西(左岸)の斜面をよく見ると薄く獣道のような踏み跡が西へ水平についています。
地形図通り西へ斜面をトラバースしてください。谷を2回横切れば間もなく堰堤が見え、堰堤にたどり着きます。その堰堤が602の地点と思われます。ここから地形図通り北東に谷沿いに下りますが、しばらくは道が無いので草木をかき分けて進む必要があります。流れは浅いので危険な場所はありません。これから特に谷沿いは草木が茂るので歩きにくいと思われます。晩秋から春が良さそうですね。
それとスカイラインから岐阜県側に下る取り付きがわかりにくいと思うのですが、適当に茂みを東へ下れば掘り割りの道が現れます。

標高720m辺りの細長い尾根の辺りは、広い平のような所で気持の良い林でした。
炭焼き釜の跡や瀬戸物のかけらもあり、きっと昔の人達が炭焼き等、山仕事で通っていた場所だったようですね。道を外し三角点701.6へ北東方面は次第に植林と笹原になり、
途中で行き止まりです。

上平寺越えルートが、昔の笹又の方々の山仕事や生活に使われた主要路ということで、歴史民俗を想像・感じながら感慨深く歩かせていただきました。

 弥高尾根は4/27。百坊跡から838までは笹が腰くらいまで、薄い踏み跡あり。 838は綺麗に刈り払われ、900M過ぎから背を越える藪に突入。しばらく格闘後、抜ければ 南斜面を見下ろす見通しの利く尾根に出て山頂に至る。崖マークの所も大丈夫でした。

 上平寺越えは上平寺から北へ伸びる川戸谷林道から。情報では道があるのか不安でしたが、古い地図でこの辺りからと予測していたら、植林の中に薄く道型がありそうで、進めば確信に変わってきました。小谷を渡り、前半は斜面を登り、中程で尾根にのる。深い掘り割りの道が続いてスカイラインの駐車場に出ました。東南の尾根から西遊歩道の鳥居まで往復し、再度戻り上平寺越えから岐阜県側へ降りてみました。同じように掘り割りの道が続いていましたが、地形図に出ている道は西へ向きを変えると無くなってしまい、やむなく強引に降りてしまいました。下山途中後半に分岐の道が出てきたのでどうも地形図とは違う道になっているようです。