国見林道 春 2009.4.5

前夜、「近江診療所を祝う会 職員懇親会」を開きました。3年前に46人のスタッフで始めた「ケアセンターいぶき」も、今では70人になりました。大きくなったと思いますし、「滋賀県に帰ってくるならいぶきしかないと思って来ました」と言ってくれた新人さん。それだけの施設になりつつあると、喜んでいます。近江診療所は、桐ヶ谷先生を中心に、事務課長、看護師、事務の7名で始めてもらいましたが、地域の人に喜んでもらえる診療所にほしいと思います。

今日は、天気がいいことを確認し、上板並に車を置いて、歩いて国見峠を歩きました。歩いたのは、道路の状況がわからないのと、北尾根はあまり花が咲いていないだろうと予測したからですが、車は十分往来可能でした。できれば、北尾根のイワウチワの開花を期待していましたが・・・まだ咲いていませんでした。2週間後か。

往復で20kmも歩いて、さすがに新しいトレッキングシューズでは靴擦れができてしまいました。国見峠には、以下の石碑が建っていました。
2003年春の北尾根  2003年春の北尾根2
2005年春の北尾根
国見峠
国見とは太古の謎を偲ばせる言葉である。この峠道は近江と美濃を結ぶ歴史の間道であり、塩と絹の道として往来する村人の暮らしの道であった。教如上人をかくまった蛇が岩は峠にも近く、落ちぶれた武将や子女の哀史は尽きない。また明治、大正期には伊吹の野麦峠でもあったのである。宮本武蔵が駆け抜けた峠、伴団右ェ門の大滝、炭山村跡、さざれ石の伝説もある。峠を下れば寝仏、尻まくり地蔵が、訪れる人たちに歴史の歳月を語りかける。
光明遍照十方世界
目の不自由な私が甥に連れられて、この地を訪れたのは、この国見林道開通後の6月中頃。
それから七日七夜過ぎし夜のこと、金色の光明の中より大日如来出でましまして、如来の教法称え賜うなり。
あまりの不思議に全身汗して我に返り般若心経を称え奉る。
それより七日七夜の間、全身に汗して般若心経を頂きぬ。
この峠は不可思議の仏のまします峠との思いして弘法大師をお祀りする。
人生はこの林道のごとく険しく厳しく曲がりくねった坂道の様なれども峠に来たれば仏の世界なり。
今八十歳の人がここが峠と、後八十年の命を賜らん。
全ての欲心悪心を捨てたまいて心から手を合わせれば仏のお慈悲を賜らん。
   深々と合掌

伊吹地区より、姉川と伊吹山を見る。

ヤマブキ

小泉地区にはサルが・・・

何匹も来て、我が物顔でした


サンシュユ

国見林道に入り、ショウジョウバカマ

林道の様子。全て舗装されていました

クロモジ類

ニワトコ

アオイスミレの顔したシハイスミレ

菫の顔もいろいろあります

シハイスミレ(紫背菫)

キブシは全開

クサイチゴ

国見峠までは歩いても歩いても遠い・・・

イワナシ

ヤマザクラ

ネコノメソウの仲間

オオタチツボスミレ

ダンコウバイ

アセビ

ヒサカキ

岩が露出しています。レンガのよう

地層がぐにゃりと曲がっていて・・・地球の力を感じる

ヤシャブシ

小川

キブシの花はレースのように・・・

キランソウもエネルギッシュな紫色

フキノトウ

アカヒダボタン

県境までしっかり木が守られていました。
鹿の食害を防ぐためにテープが巻かれています

下草刈りがされ、植林もされていました。
シートでやさしく守られていました。

望遠で見る伊吹山と駐車場。もう車が停まっている

伊吹山北面も雪がない状況です

標高1000m以下は植林されています(国見岳)

治山のためのコンクリート壁は、ある意味アート

国見峠の長寿大師

長寿大師の後ろの碑です・・・内容は上記

国見峠の歴史を書いた石碑・・・内容は上記

植林された山と青い空

フサザクラ

ムラサキケマンとミヤマキケマン

ミヤマカタバミはピンク色

5時間かかって林道を往復し、その後曲谷集落へ

曲谷ダムを見上げて暮らす集落

ツクシも伸びてきました

ヤマルリソウも

甲津原集落の喫茶「麻心=まごころ」で、おいしいキーマカレーとコーヒーをいただきました。
「めぐりくる生命」という写真展が開かれていて、ちょうど詩人の堀井さんにお会いできました。
「いのち」「生と死」についての考え方を聞くことができて、とても共感。
帰りは伊吹地区の桜を楽しみました。

なんと言っても弥高地区の桜は見事です。まだ3〜5分咲きで、これから楽しめます。