高齢者施設・在宅における看取り研修会

主催:滋賀県老人福祉施設協議会
Tel: 077-567-3925
Fax: 077-567-3927

湖北会場 2013.10.31 13:15〜16:45 勤労福祉会館 長浜臨湖 多目的ホール
●湖東会場 2013.11.21 13:15〜16:45 ひこね燦ぱれす 多目的ホール
湖南会場 2013.12.5 13:15〜16:45 守山市民ホール 集会室


  

発表@「最期は畳の上で」〜チーム協働と支援者に与えられた課題〜
合同会社プリムラ ケアプランセンターどりいむ  所長 主任介護専門員 辻広美さん

90代女性、独居のがん患者さん、余命3ヶ月と告知され、兄弟の反対をよそに家に帰ってきた。
全身を診る在宅医師、がんを診る病院専門医、疼痛管理をする緩和ケア医の協力が得られた。
ケアマネ 毎朝訪問、訪問看護 1日3〜4回 、訪問介護 1日3回、民生委員
在宅でみようとそれぞれのスタッフは覚悟を決めていたが、最後に兄弟が「世間体が悪いので入院を」と
最期を病院で看取ることになり、心残りがあった。
○在宅看取りを支える支援チームの連携、支援者の看取りに関する理解の促進
○リビングウィルの普及、地域住民へ看取りの理解の促進

発表A「命のバトンタッチ」〜愛する4本の木に囲まれて〜
公益財団法人 豊郷病院 甲良町グループホームらくらく 管理者 山口康子さん

看取りなんて無理・・・当初は職員の不安が強かった。
「焦らず、無理せず、時期を待て」・・・信頼していた訪問看護師長からのひと言
看取りについての勉強会を開催
不安への取り組み・・・看取りに向けてどのように変わっていくのかという手順を知っておく
かかりつけ医との連携・・・主治医の言葉 「自然がいいんだ」
看取りを経験して、スタッフは成長した。

発表B「最期を見つめ支える」〜看取りケアの実践を通して私たちが学んだこと〜
社会福祉法人 特別養護老人ホーム 清水苑 施設介護支援専門員 辻薫さん

清水苑 平成6年開設、入所 84床、ショート 16床、平均要介護度 3.74
看取りの取り組み 近年は毎年7〜8例
これまでは具合が悪くなれば病院へ搬送・・・ご家族から「なんとか慣れ親しんだ施設でお願いできませんか」
入所時に意向の確認、サービス担当者会議に家族の参加、カンファレンスの開催
事例 90代女性、要介護5。病院では誤嚥性肺炎のリスクが高いと判断された。
施設に帰ってきて、食事を再開した。マグロの刺身やコロッケなど好きだったものを
嘱託医、看護師、生活相談員、管理栄養士、歯科医、歯科衛生士、ケアマネ、ケアワーカーなどの連携
偲びのカンファレンス開催
施設で、公開講座を開催。地域住民の参加を促した。

発表C「家族の思い」〜施設の生活〜 
社会福祉法人 達真会 特別養護老人ホーム 多賀清流の里 特老統括係長 居川勉さん、入所様のご家族

施設の看取り経験 年1〜2人、施設への思い、
家族の支え・・・家族は毎週訪問していた。食事介助を通して衰弱していくのを感じていた
家族の気持ち・・・身を切る思い、白寿を迎えることができ感謝
笑顔で楽しく・・・母の命を支えていただいて、たくさんの人に感謝の気持ち
看取りは生活の中の結果

   
   


質問:ショートステイで看取るという発想はどうして? 
がんであれ、老衰であれ、認知症であれ、在宅で頑張ろうと思っても、何ヶ月もは本人も家族も疲れてしまいます。ショートステイを利用しないと在宅療養の継続は無理。看取りになったとしてもショートステイで受け入れてあげることが大切です。

質問:病院では「満足のいく看取り」ってありえないのでは?
病院では最後まで病気と闘うために「死は敗北」という空気があるのは事実。誤嚥性肺炎を予防するために経口摂取を中止してしまうし、骨折を予防するためにベッドから降りられないようにしてしまう。最期も医師や看護師はモニターを見ることに気を向けてしまいます。在宅や施設のほうが豊かな最期を迎えられると思います。好きなものを食べさせることができるし、家族との触れ合いが濃密。

   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

藤居眞様よりfacebookにコメントいただきました

 投稿者:hataboメール  投稿日:2013年11月26日(火)01時23分0秒
返信・引用 編集済
  「地域包括ケアシステム」と「死ぬということ」.

 今年度、県からの委託を受けて、私が副会長を務める滋賀県老人福祉施設協議会で「医療と介護をつなぐ看取り研修会」を開催している。これまで、長浜、彦根と2か所で開催し、12月5日に守山市民会館で3回目を開催する。

内容的には、在宅、施設の現場からの看取りの実践報告を、それを受けて 地域包括ケアセンターいぶき センター長 畑野秀樹医師から、実践報告についての感想と「施設・在宅における看取りに関わる 医療・介護職員の役割と連携」と題して、講演をして頂いています。

長浜、彦根の研修を終えて感じたことであるが、もちろん施設等での看取りがなかなか進められていない施設もあれば、積極的にその人が暮らしなれた場所での看取りを積極的に行っている施設、その2つにわかれるというのが感想である。実践発表をしてくれている事業所では、積極的に看取りに取り組んでいるが、その不安についても報告されている。一方で、看取りを通して職員や家族との絆が深まったということも事実である。

畑野医師から「看取りの苦労・工夫」として

・家族への説明する機会を徐々に増やすこと
・家族に「死を受け入れる準備期間を」作ってあげることがとても大切
・「食べること」は、生きるものの最後の本能であり、「食べられないこと」は死が近づいことを説明
・胃瘻をした場合の家族の苦労を説明
・医師から「これでいいんですよ」、「もう十分生きてこられたのですよ」という言葉かけ

以上のことが大事だと教えていただいた。

この中で、介護の現場からできることと、やはり存在として大きいのは医師であるということを感じるのである。医師が、家族にも介護の職員にもこの言葉をかけてくれると、双方がどれだけ心強いか。

そして、「医療・介護従事者の心構え」として

・高齢者の生活を支え、豊かな人生を支援すること
・家族関係の修復
・思いやりのある若い世代の育成
・いのちをつなぐ・いのちのバトンタッチ
   ・・・高齢者だけをみているわけではない
・あたたかいまちづくり

であると教わった。

実践報告でもそうであったが、良い看取りができているところでは、家族との関係が良好で、看取りを実践したことにより、職員が成長したことが報告されている。

つまり、そのことを先生は
「看取りの苦労・工夫」という項目の中で

・介護・看護スタッフの、優しくて落ち着いた対応
・看取った後に、「よい最期だった」とスタッフ間で共有すること
     →スタッフの成長につながる
・亡くなった後、家族からの「ありがとうございました」という言葉が介護スタッフを勇気づける

と言われている。

そうなのである。看取りをさらに進めるために、そして介護職員の成長のためには、看取った後が大事で、振り返りをして「よい最期だった」と共有することと、家族が満足して発する言葉がどれだけこれからの看取りの取り組みが進むか、そのことを言われていると思う。

ところで、この2回の研修を通じて、感じたことであるが、昨今、「地域包括ケアシステム」と盛んに言われるようになっている。誰もが住み慣れた地域で、そして住み慣れた家で看取りができるように、サービスを出来るだけ、在宅に届けて、本人の尊厳あるケアをしようというものである。そして、最期は家で亡くなること。

亡くなる本人が望んでいるのは、家での死である。

実は、この大きな阻害要因になっているのが、家族が「死」ということについて、どのように考え、受け止めることができるかである

ある実践報告の中で、死を迎えようとしている本人を病院に送らないと、「世間体が悪い」と家族や親戚が言ったそうで、病院に駆けつけたケアマネに本人が不満な顔をしたそうです。

家族での介護が全てではありません。介護力が家族にあるかどうかも十分に考えないといけません。
でも、可能ならば、世間体より何よりも大事なのは本人の意志である。

地域包括ケアシステム、お題目は素晴らしい。住み慣れた地域で。

でも、結局それを阻害するのが、「死」というものが病院のものでなく、医療でもなく、自然であるということを家族、住民が自然として受け入れること、そのことが大事なのではないだろうか。

病院は病気を治すところで、死に場所ではない。死ぬということは、100%保証されたこと。それならば、その場所をどこで迎えたいのか決定するのは、本人であるべきなのでは。決して世間体ではない。


口から食べられなくなった時、自然界ではそれは自然と死を意味した。水が飲めなくなったことは、それは自然な死を意味した。いたずらに、死期が近づいている人を点滴で水分を与え、胃瘻をすることが本人に自然で苦痛の無い死を保証しているのだろうか?
否である。

もちろん、治療としての効果を発揮する胃瘻はあるので、胃瘻を全面的に否定するものでもない。
でも、胃瘻でも逆流性の誤嚥性肺炎を起こしたら、それこそ苦しむのは本人である。

最近、イベント的に「死」「看取り」について勉強する研修会が開かれるようになった。それはそれで今までには無い取り組みであるとは思うが、まだまだ一般的にみんなが考えるようなこととはなっていない。

そろそろ自治会単位ぐらいで、「死」について考えるような集まりがあってもいいのではないだろうか。地域包括ケアシステムは介護保険制度の大きな転換である。

介護保険が始まる前、自治体は自治会単位で介護保険制度についての勉強会を開催して、住民の理解を求めた。それでもまだまだ知らない人は知らない。

地域包括ケアシステム、大きな転換であるとするならば、そろそろ「死」「死に場所」、そしてそれを迎えるためには地域に連携の中で何ができるのか、どうすればできるのかを学習する必要があるのではないだろうか。

人間が生まれて、100%保証されているもの。それは「死」である。例外はない。
その「死」がどのように人生の最期で迎えるか、そろそろ真剣に考えてみてはどうだろう。

「これでいいんですよ」、「もう十分生きてこられたのですよ」と納得できる「死」を迎えたいものであるし、保証するべきだと思う。

誰が保証するのか。家族であり、介護職であり、看護師であり、医者であり、その人に関わる人、全てが。もちろん、自分自身もである。

看取りとは・・・納得の死=「よく生きることができた」

このことに尽きるのではないだろうか。